教育支援員の備忘録

生徒主体の学校づくり

規律心

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「五月雨は露か涙かほととぎす 我が名を挙げよ雲の上まで(足利義輝)」

 

ゴースト教師の仕事は、教師たちが帰った後でないと始められない。要は、当人がやり残した(やらなくても良いと思っている)授業準備やほったらかしの係業務をやらなければならないからだ。教育支援員に興味を持たれている方々からは、生徒たちと楽しく過ごせるならやってみたいと勘違いされているようなので説明しておく。早く帰りたがっている副校長を無視しながらもセコムが入る時間には出なければならないのだが、いつも立ち寄って晩飯代りのファミチキを食べるファミリーマートがある。

 

レジに1年次生の男子生徒が3名いた。部活動帰りにしては遅い時間であるし、少々騒がしい。「サッカー部は躾教育が厳しいから練習後には羽目を外したくなる気持ちはわかるよ。君たちの先輩たちは駅だろうが通学路だろうが、私に気づくと大きな声で挨拶してくれて、『挨拶のできる礼儀正しい生徒たちだ』と随分と学校の評判を高めてくれたよ。」と伝えたのだが、その後、そのファミリーマートではレジにスタッフがいても奥から店長が出てきてやたら低姿勢で接客してくれる様になったので行きづらくなってしまった。

 

男子サッカー部の生徒たちは他部の生徒たちからは「別の集団」と捉えられており、クラス内でも交流はないと言う。校内には、「生徒主体の学校づくり」と「サッカー部の方針」という極端な二極対立構造が存在しており、顧問教諭は「昔学校が荒れていた時にサッカー部が中心となって学校を改善した。このやり方が正しい。」と譲らないが、当の卒業生は「僕たちの時の顧問の考えと今の顧問のやり方は全然違う。間違っていると思う。」と言う。

 

男子サッカー部の生徒たちのところに行き、「君たちはいつも大きな声で挨拶しているよね。それは何で?」と問いかける。こちらの思惑通り誰も返答できないどころか「そういう風に指導されています。」としか返ってこなかった。「挨拶は誰にしている。相手はどこにいる。あいては自分に気づいているか、相手に気づいてもらうにはどうしたらいいか。普段からそういう意識を持って行動することで、ゴール前でコンマ何秒の判断ができるようになるんじゃないかな?背後に敵がいると気付ける鷹の目を養うことができれば、オフサイド待ち伏せ禁止のルール)を誘えるんじゃないかな?挨拶という行為はそのための手段で礼儀が目的じゃあない。」

 

その後、ミーティング中でも練習中でも、一人が気付けば一斉にこちらを向いて挨拶をしてくれる。廊下では「声がでかい」と苦情が来るほどである。駅で出会ったときはベンチから立ち上がり同様に大きな声で挨拶してくれた上に席を譲ろうと座らない。半年ほど過ぎて、男子サッカー部に対し対抗意識を持っていた生徒たちからの苦情は聞かなくなった。寧ろ、一緒に委員会活動などに取り組んでいる。常に誰かに見られていることを意識することの意味を理解してくれたのだろう。

 

イギリスの少年サッカー練習に関する示唆がある。「才覚に恵まれない者が自らの資質を明確に認識し、その最適と信ずる部署に甘んじて全体の利益に奉仕することを喜びとし、いささかの不満もなく指導者の名に服することである(自由と規律 池田潔 岩波新書)」自分で自分の資質を明確に認識している者は目標設定も努力の方向性も明確になり、自発的、自律的に成長することができるということである。「厳しくなければ学校がまとまらない。このやりかたで学校は良くなった」のではなく、既に幼少期から集団規律の中で育ったイギリスの少年たちだからこそ自律した学びができるのである。縛り付けてパワハラ予備軍を育てるのは間違いであると言わせてもらおう。