教育支援員の備忘録

生徒主体の学校づくり

日常の中の美術

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「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)」

 

はいからさんが通る大和和紀 講談社)」を読んだことのある方ならばピンとくる歌であろう。激しい気性の崇徳院の読んだ歌であるが、離れ離れになった恋人たちが再開するとも読める歌でもある。テレビアニメではシベリア出兵以降のストーリーが省略されているのが非常に残念であるが。

 

話題を転じる。日常生活の中でものを作り出す活動を楽しむことはできても、美術作品を鑑賞する機会や自分の作品を通じて何かを表現したり、他者の表現から想いや工夫を読み取るなどを意識したことはあるだろうか。寧ろ、観る視点が作品の仕上がりの良し悪しという技術的な部分や個人の価値観に留まり、制作活動と鑑賞活動とが分離してしまってはいないだろうか。

 

ある学校の美術科教諭が「対話型鑑賞法」を取り入れた授業の構造化に取り組んでいる。ニューヨーク近代美術館で行われている「対話型鑑賞法」は、キュレーターは一切口を出さず、鑑賞者それぞれの自由な視点で作品を楽しむというスタイルであるが、その教諭は制作活動と鑑賞活動とを関連させ、「対話を通じて」課題に対する自分の理解を問題解決の方法として実践させ、自分に不足しているものや新たな可能性に気づかせようとする方法論である。

 

鑑賞会で意見交換の場を設けることで、他者に伝える過程の中で自身の制作に対する責任感が芽生え、主体的な「イメージ」が明確になってくる。対話は生徒自身だけでなく他者の制作に意味や価値を見出すと同時に、皆で協同して課題に対する理解を深めて制作を発展させようとする意識の伸長を図ることができる。特に、鑑賞会を通じて自分が抱くイメージを言語化して相手に伝えたり話し合ったりする体験は、発想力や鑑賞の仕方を身につけるだけでなく、コミュニケーション能力を高める言語活動の充実にも繋がるものである。

 

中学生後期から高校生という発達段階は、社会的な関心が深化して他者との関係性の中で個性や自己の内面性に対する意識が高まり、「自分の意見を伝えたい」「自分の考えを聞いてもらいたい」という欲求を抱えている。自己の発言の重要性や責任、考えの深まりといった自己の相対化や他者理解が促される経験を得られる学びは何であろうか。その答えは、大学の科学研究費活動でもアクティブラーニング研究推進校でも見つからず、先に述べた美術科教諭個人の取り組みにあった。「美術とはこういうものだ」と、5年前は否定的な意見が多かったようだが、昨年度の新学習指導要領の改訂で「主体的・対話的で深い学び」という柱が打ち立てられた。その教諭の取り組みが評価されるようになり嬉しく思う。