教育支援員の備忘録

生徒主体の学校づくり

向上心と探究心

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「為せば成る為さねば成らぬ成る業を 成らぬと捨つる人の儚さ(武田信玄)」

 

大学出張講義で、英文科のシェークスピアの授業に参加している男子生徒がいた。文化史に興味があると、「天平の甍」や「額田女王」(井上靖 新潮文庫)について熱く語っていたので不思議に思って聞いてみると、戯曲に興味があると言う。だが、つかこうへいは知らないし、活版印刷とエリザベス1世には?のままである。授業でも常に斜め横からの質問をしてくる生徒であったので、次は社会学かと思っていたら、哲学科に進みたいとの返答であった。「彼のロッカーを見てやってください。」と同じ部活の女子生徒に引っ張られるようにして見に行ったが、確かに迷彩色というが混沌とした状態にあった。いずれにせよ、表面からは窺い知れないが確固たるビジョンを持つ非常にユニークな人物であった。

 

アクティブ・ラーニングの定義から、学校の役割とは全ての生徒が「自ら学ぶ事を学ぶ場所」と、「自発的に学習出来る教材」を提供することであると言えよう。だが、生徒の学習への興味・関心は、即ち日常生活に於ける興味・関心である。生徒の欲求や必要といった内発的動機付けを、自ら学ぼうとする学習への意欲に繋げていかなければならない。その為には、常に生徒の特性(実際)を把握し、個人差を配慮した学びの手引きを示す必要がある。いくら教師が教科の持つ魅力や楽しさを伝えようとしたところで、生徒達が何も感じていなければその授業には価値がない。

 

社会で必要とされるリベラル・アーツ(教養)が盛んに論議される一方、マニュアル依存型のステレオタイプの人間が求められている現状に変わりはない。仕事に高度な知識と技術が求められるにつれ、業務内容は複雑に分業化し個々の負担は軽減される。自身が受け持つ業務が全体のどの箇所に係わっているのか、或いは、業務の流れが見えていなくても仕事は完成される。OECDPISA調査のコンセプトに挙げられている「高度情報化社会に必要な知識や学習の態度」の育成とは、現実の変化に対応できる「直ぐに使える知識」だけでなく、次の時代の変化を見通した「役立つ知識」を学び続ける態度の育成にある。それは、学んで蓄積した知識、それも、多くの見解に裏付けされた根本的な理解に基づき、適切な知識を組み合わせて引き出し一般構造化する事である。そもそも学校教育とは、社会の要請(政治、経済の理解、科学技術の知識は勿論、歴史的脈略から考察する社会システムの理解や社会人としての規範意識等)を実現する為に行われるものであり、教育基本法前文を持ち出すまでもない。教育が何をなすべきかについては既に明確な目的が打ち出されている。

 

教科を通じて学ばせたい知識や身に付けさせたい態度が、自らの生活の中でどの様に関わってくるのか。1951年の学習指導要領(試案)には、「いかなる教材を用い、いかなる計画を立て、学習をしっかり指導する事が最も適当であるかは、その生徒や学校と地域社会の実情に詳しい教師が最もよく決定する事が出来よう。」とある(但し、施行された学習指導要領からは削除されている)。授業と生徒の日常生活との間に乖離が生じてはいないか。「教える主体」と「学ぶ主体」との価値観の対立に気付き、その差異を埋めようとする努力を怠ってはいないか。

 

4年間、高校教育の現場を観察し続け「学ぶ主体」としての生徒達の自発性と、「教える主体」としての学校の役割との対立は深まる一方であると感じている。教育という同一次元の問題が、自由と規律、放任と指導、経験則とマニュアル化、適正と個性という二項対立の問題を内包したまま、「複雑且つ多様な価値観や社会システムから成り立っている現代社会の問題を解決するモデリング教育」の完成を待ち続けているからである。手ぶらで授業に臨み続けている限りは、講義式の授業であろうとグループ学習の形態であろうと、いずれも違いはない。授業の構造化をファシリテーターとマネジメントに二分する。中心に位置する教師は、専門的知識・技術を用いて「関係性のデザイン」を作り出し、「生徒の興味・関心、考えや実際の行動を引き出す支援」を行う。生徒たちが為すべき取り組みは、「既に完成され固まってしまったデザイン」を変化させ新しくすることである。ニーズを調査し、プロジェクトのサポーターとして積極的に授業づくりに参加せよ。