教育支援員の備忘録

生徒主体の学校づくり

人材雑感

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 (「iPad仕事術2019」 スタンダーズ株式会社 表紙Webライターichさん)

 

「努力できることも実力のうち(俵万智「りんごの涙」文春文庫)」

     ”The Chrysanthemum Vow - A man who has killed himself becomes a ghost and appears to keep a promise with his best friend on the night of the agreed day (A person can't run through thousand miles in a day, but a soul can fly over the way of thousand miles).

     You aren't supposed to plant a willow in fresh and green spring in a garden, and You aren't supposed to form the friendship with a frivolous person. Even if it's easy to flourish, a willow isn't endured by the first wind in blown autumn. The friendship is easy to form with a frivolous person equally, but it's also early to stop. When spring comes every year, willow makes a leaf flourish, but since visiting, a frivolous person doesn't come.“

 

米軍将校のパートナーに「菊花の契り・雨月物語上田秋成 岩波文庫)」について説明したところ、「あなたは自分の息子に腹を切れと教えるのか!」と激怒させてしまった。「約束を守るためであれば“YES”だ。」との返答に更に憤慨した様子であったが、彼女が私にくれたメッセージカードには、「志を高く持ち続けて。あなたの考えをみんなに伝えて。」と書かれていた。

 

プロのライターやノマドワーカーではない、更にアフィリエイトアドセンス対策の仕組みも知らないのにブログやTwitterに参加させてもらっては他者をフォローしたりしているわけであるが、そのような者であるから収益に繋がる協力ができないのは容赦願いたい。ちょうど市議会議員選挙があったので補足すると、行政の場で実際に仕事を決定しているのは課長クラスの者たちで、首長の役目はその予算を確保することにある。行政に自分たちの生活や思いを反映させるには選挙で投票することがいかに大事であるか、と話が逸脱してしまうが、TwitterFacebook、個人ブログの方向性が、これらを専門職として確立していこうと取り組んでいる方々にも同じことが言えるのではないかと考える。彼女との「約束」を守らなければ私は腹を切らねばならないので、長文おつき合い願いたい。

 

本題に入る。立ち読みした雑誌でWebライターのichさん

http://www.radflumpool.com/

を知り、「フリーランサー」という業種が広まりつつあることを知ったのだが、例えば、教育であれば新学習指導要領の改正で、いじめ問題への対応の充実や生徒の発達段階をより一層踏まえた体系的なもの(「個性の伸長」「相互理解、寛容」「公平、公正、社会正義」「国際理解、国際親善」「よりよく生きる喜び」の内容項目が追加された)へと改善が行われている。 現状の課題として少子高齢化、都市化、グローバル化社会による従来からの生活環境や社会システム、価値観の変化を含め、地域社会を支える人材を地域全体で育てようとする連携の希薄化や、本来家庭や学校が果たすべき躾や規範意識の醸成が果たされていないという問題が挙げられている。しかし、価値観とは法やきまりの様に強制されたり束縛されるものではなく、社会集団の一員としてその社会に対するあるべき姿勢を自発的にとろうとする精神である。それは同時に、他者との関係を築く豊かな人間性を含む総合的な力を培い、社会の為に役立ちたい、次世代の為に役立とうとする個人の価値観から脱却する世代間循環型の意識の伸長でもある。フリーランサーという取り組み(調べてみたがライターやフリーランサーノマドワーカー、在宅ワーカーとの境界線が不明確であったので統一する)の存在性は、希薄で拒否的な人間関係にリアリティを取り戻そうとする教育活動の生きた教材であると感じたのは私だけであろうか。

 

端的な例として、1972年にアメリカの国際政治学者のズビグネフ・ブレジンスキー教授(「ひよわな花」 サイマル出版会)は、日本人は社会が成熟期に移行するに伴いメタステープル状態(不安定化)となり、伝統的な価値観や行動様式の亀裂が生じて社会的亀裂の連鎖反応を引き起こしかねない体質を持っていることを指摘している。その最たる要因として高度の対外依存性をあげているが、大国意識と国際的役割の拡大を望みながら、明確な目標と役割を見出せずにおり、換言すれば、自己中心的性向への指摘である。日本人の不安定化要素は、言うまでもなく消費的傾向と私的な快楽主義を促し、急激な都市化という欧米とは異なる物理的モビリティは根無し草的な新労働階級を生み出して労働規律の低下と勤労意欲の減退をもたらすだろうと予言している。社会学者も指摘するとおり、日本人の意思決定過程、つまり集団内部の調和確保を重視しすぎるとその集団は麻痺し、難しい選択ないし予期しない選択に直面すると行動不能に陥る。「人間嫌いの日本人」というブレジンスキー教授の観測者としての目には驚くしかない。

 

さまざまなモノやメディアが生活空間を埋め尽くしている中で、なぜ人は自然や田舎といった「人のいない」風景に心地よさを感じてしまうのだろう。生きた人間のいない空間は心の世界から他者を排除したいとする心性であり、「表面的な付き合いでないと人間関係が維持できない。」そのツールとしてのスマホが中・高生の必需品となってしまった。LINEに原因はなく、日常的に行われている他者との相互行為不足が、社会を構想し、運営し、改革していくことを妨げているのである。ichさんの取り組みは「人と人との繋がりをデザインする」ことにフォーカスされている。ブログを読んでみれば、自分が社会的相互行為から目を背けていることに気付かされるだろう。

 

ichさんの活動を見て、「女性ならではの視点」を感じるところもある。多様化の時代に過去の知識や経験則は役に立たない。古いイメージとは無縁な若い女性が活躍する転換期でもある。現にだらだらと長文を書いている私は「保守的な男」である。地位や肩書きよりも、仲間と一緒に仕事をしている感覚や、一専多能型(専門分野を持ち、他にも応用が効くタイプ)のプレーイング・マネージャーこそ、ブレジンスキー教授の勧告する日本の将来を握る人材である。ichさんが人間関係で大事にしていると言っていることは、30年前にグンゼ株式会社の遠藤社長が「大成の可能性があり、私が求める人材でもあります。」とインタビューで答えていた内容をなぞるものである。

 

ichさんの取り組みがどう学校教育の現場とリンクするのか。2つ目の例えは、生徒指導とは規範意識を「育てる。取り組ませる。確立させる。」にある。教師が常に監視して防ぐ消極的束縛ではない。生徒がグループに所属したいと憧れを感じ、その集団に属する事で自然と規範感覚を身に付けられる存在(=模倣可能な自己指導能力)を増やしていくことが重要である。特に「承認欲求」に関しては、自分が集団内部で有用な人物でありかつ周囲の生徒に良き影響を与えることの出来る人物だと感じることができれば、自信、肯定感等の感情が自然と湧くものである。他人の注意を引きたいが為に奇行に走る未熟な行動や、仲間や教師との口論、反抗したり分派行動を防ぐ事ができよう。インターネットで世界中と繋がる時代である。自分に出来ないことは提携して広げていけば良い。寧ろ、パートナーとして選ばれる為に何をすべきか。どんなに学力(知識)が豊富で行動力があっても、自己満足で自分だけが先行して進んでいては結局は後戻りを余儀無くされる。先を見通す為の知識という土台と、自らの行動を支える確かな情報力を持ち、周囲と協調して調和を留意し、自分は何を為すべきかを考える事が大切である。それが出来る人材が、当然の帰結として社会を発展させるのである。自分達の自立と社会参加に繋がる学習の方策を自分達の手で作り出すこと、それぞれがリーダーシップとフォロワーシップを持ち、「自分達の為の学びの場(インクルーシブ授業)」を作り出すこと。「和を以て貴しとなす。」は、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条の言葉である。「和」とは、体裁を取り繕うものではない。自分にも相手にも正直に、不満があればお互いにそれをぶつけ合い、理解し合うということである。要は、「次回も集団討議に参加したい。」という意欲を湧かせるものである。

 

10年ほど前、カナダに移住した母の友人の息子が「仕事がないからヨーロッパに行ってくる。」と就労ビザとバッグ一つで出かけて行ったが、地方から都会に出るのとは訳が違う。考え方のスケールの違いに驚かされた。バンドグループのボーカルでもある彼に”Marilyn Manson“について熱く語られた影響が、私の「見た目と中身とのギャップ形成」でもある。7年前にスコットランドから母の高校時代のペンフレンドが観光旅行にやってきたので一泊してもらったが、「Wi-fiとパソコンがあれば、日本語ができなくても大丈夫。」と、デスクトップ一面に貼られた観光案内のPDF資料を見せてくれた。そうやって世界中を旅しているそうだ。ご主人は「日本人はテーブルの上に自分の名刺をばらまくが、私たちは信用できる相手にしか名刺を渡さない。悪用されては困る」と、厚切りジェイソン風に「Why?」を繰り返していた。私にとってはスプートニク・ショックに等しい体験であったが、今、同様の思いをichさんのブログに感じている。