教育支援員の備忘録

生徒主体の学校づくり

目的意識と信念

 

 

人間の意思とは無関係に働く自然現象は反復するが、歴史事象は過去に起きた人間の営みの流れであり、現在と対比すべき過去が同じ形で繰り返されることは決してない。歴史学は現在と過去とを比較して原理・原則を求めようとするものである。哲学は経験からつくりあげた人生観からそれを求めようとするものである。領土拡張論にしても、それが国家的正義であって国家行動として望ましいとされていた時代がある。歴史に学ぼうとする試みは、果たして未来を予測することの成果に繋がっているのだろうか。

 

明治維新からの考察

f:id:chesha02:20191006020541j:plain

(C)2010 NHK 「NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 第1部」


 

日本史の特徴は、ユーラシア大陸から海を隔てて孤絶した地理的環境にあり、欧州に見る国家行動を規整する国際感覚とは無縁の独特な社会機構にある。明治維新からの指導者の考えは、欧米に対抗する為に早急に国民国家を成立させ、日本を植民地化の危機から救おうとするものであった。

 

戊辰戦争が始まると、新政府軍(薩摩・長州)は鳥羽・伏見の戦いで、銃撃と砲撃とで刀槍の幕府軍を圧倒した。これに対抗する為に長岡藩(河井継之助)は北越戦争で最新の兵器を取り入れ、数において圧倒的な新政府軍と互角に対峙した。函館戦争では、榎本軍の軍艦と兵は近代化されていたが制海権を取られ、艦砲射撃によって陣地もろとも吹き飛ばされてしまった。

 

新政府軍の勝利によって軍隊の近代化の重要性は立証されることとなり、その後の日清戦争での勝利に繋がってゆく。しかし、国際情勢は利害関係が錯綜している上に、民族固有の精神文化という計算で測り難い観念の存在がある。日清戦争に見る清国に於ける日本の独占的な進出に対し、列国のそれらの要素が凄まじい勢いで渦巻き、極東における帝国主義との対立と日本と朝鮮との民族的矛盾という惨烈な禍根を遺す結果をもたらしている。

 

日露戦争での奉天の戦いでも、近代化された軍隊、特に砲兵部隊を駆使して日本は勝利を収めている。しかし内容は、ロシア軍は圧倒的な戦力を保持していたにも関わらず、乃木希典を恐れて後退戦術を取り続けた指揮官クロパトキンの判断により局地戦で大敗してしまったものである。日本軍には予備の軍隊も補給する物資も残されていなかったことから、戦略があれば数倍の敵にも勝てるとの誤解を産んでしまった。また、日本海海戦バルチック艦隊を完全に破った内容も、同盟国であるイギリスが質の良い無煙炭をロシアに売らなかったという要因があるにも関わらず、海戦では巨艦・巨砲の神話が生まれてしまった。

 

権威と権力からの考察

f:id:chesha02:20191006020549j:plain

(C)1998 TWENTIETH CENTURY FOX 「シン・レッド・ライン


 

太平洋戦争では、この歴史はどのように学ばれたのか。明治以降は常に戦争状態が続いていたわけではなく、体制を維持する為に設けられた試験制度により選ばれた現場を知らない者が指導的役割を担うこととなる。形式主義に陥った中国の科挙制度に同じである。誇張された明治の歴史に学び、陸軍とはこうだ、海軍とはこうだとの固定観念を生み出し、世界の情勢や各国の国力と軍事力を正しく判断できなかった。

 

満洲国とモンゴル人民共和国との国境で起きたノモンハン事件やインド北東部でのインパール作戦など、陸軍に於いては重火器の補強や補給物資の輸送を考えない戦線拡大を行った。海軍に於いても巨艦主義に徹し軍隊の主力は航空機に移っていることを予測できなかったばかりか、敵の海上交通網を遮断して補給を立つことや味方の護衛、軍需物資の補給を怠り、連合軍とのガダルカナル海戦では壊滅的な敗北を迎えている。

 

二度に及ぶ世界大戦という教訓を得て、現代日本社会は国防に関する先見性を得たのか。冷戦以降のアメリカは、日米安保戦略の重点を欧州からアジア圏に移し、日本に期待するのは中・長期的な外交政策で積極的役割を担うことである。現状では集団的自衛権の行使について、未だ「日本の国益にどう役立っているのか」と国民の理解を得るべき段階にあって、日米防衛協力はその次の段階である。

 

国防とは、放置すれば自国に対する直接の武力行使に至る恐れのある事態、平和と安全に重大な影響を与える事態のことであって、平和理念や地理的範囲を示すものではない。国防は国家の最重要責務であり、諸外国の憲法には有事に於ける国家の権限や国民の義務などの基本事項が具体的に明示されている。日本国憲法は恒久の平和を追求する「平和法」であるが、有事を想定して整備されていないことから危機管理の遅れにつながっている。

 

例えば、沿岸監視や海上警備行動在日米軍基地への警護出動、在外邦人の輸送、治安出動、防衛出動これらの活動は発令者と発令手続きの管轄が異なる。緊急事態の対処基本方針と承認との一本化が行われていないまま、あらゆる脅威のレベルに即せる対応は不可能である。

 

自衛隊の存在意義は、ことに臨んで任務を遂行し責務を完遂することにある。有事という非日常的な極限状態の中にあって、個々の隊員の判断や行動が正しいのか間違っているのかは置き去りにされてしまう。求められるとおりの結果が実現されたか否かでしか評価されない。だからこそ、ハーグ陸戦規則やジュネーブ第3条約といった手続きが重要なのだ。

 

公共の福祉・利益という概念は国民の安全が前提にあるのだから、軍事的安全保障体制への貢献とは、それを実現しようとする国際政治関係の構築を否定するものではない。憲法第9条は歴史的視点に基づくものであるが現実の国際的視野を欠いている。歴史学や哲学といった歴史事象に学ぼうとする試みは、必ずしも未来を予測するという成果には繋がっていないと推察できる。

 

自衛官の誇り

f:id:chesha02:20191006020836j:plain

©︎ヒストリーチャンネル (https://jp.history.com/pgm/17208/


 

ほんの数年の経過であっても、科学の進歩は著しく人間を取り巻く環境も全面的に変わってしまっている。しかし、人間そのものの心理、特に集団心理については時代の思潮という尺度をもって分析してもほとんど変化していないといえる。注意すべきは、この尺度は同時代人が同時代的感覚でもって測っているということであり、俯瞰的に客観視することは困難ということである。

 

今や自衛隊は多くの国民から、テロリズムや武力政権の侵略から国を守ってくれる組織であると大きな信頼を得ている。かって在日米軍関係者から「日本の軍隊は世界で唯一成功した共産主義だ。」と妙な賛辞を受けたことがある。自衛隊が何の為に存在しているのかを考える前に、自衛隊を形成している組織の在り方や規定の内容が、「全体の奉仕者」である公務員としての特性に基づいていることは、諸外国の軍隊にはない考えである。

 

時代の推移によって求められる能力・人物像は多様化してゆくが、自衛官は同時に「日本の代表」として在るべき姿を求められている。乱暴な表現をすれば、「自衛隊がなめられたら終わり」である。そこに異質な魅力が求められることはない。この二つの不変性が憲法第9条を支える根底になっているといえよう。

 

石原慎太郎氏は著書「いま魂の教育(光文社)」の中で、「有色人種の中で唯一近代国家の造成に成功し、その結果、白人が世界のすべてを植民支配しようという歴史的願望を挫折させた日本人は彼らにとってはまさしくエイリアンであり、そんな怪物を徹底して解体しつくすことを目的に始められた戦後の日本統治は、教育の解体に始まって、とうとう危険なエイリアンの日本人を、これまたかって人間の歴史に存在しなかった、見事なまでに自立性を欠いた異形な民族に変貌させてしまいました。

 

私たちは「菊」を萎れさせ「刀」を錆びつかせてしまったことで、価値の機軸そのものを見失ってしまったとしか言いようない。

 

ジャイロスコープが狂い、地上での存在の機軸たる重心への鉛直という拠り所を失った飛行機がダッチロールの末に墜落してしまうように、自立性を欠いた日本という国家社会の蛇行はこのままいけば、日本に関わるすべてのアイデンティティを喪失し、民族の消滅に繋がっていくに違いない。


いま私たちに何よりも必要なことは、大人も子供もともに、物などに関わりない、物をはるかに超えた他の価値があるのだということを知りなおすことだと思います。」と述べられている。